レーシックの発想は古くからあった

いまでこそレーシック(屈折矯正手術)として定着している視力回復術ですが、この屈折矯正手術、つまり角膜を切開して屈折率を変え視力回復を行うという発想自体は、1800年代後半、世界中の眼科医によって研究されており、そこからレーシックの歴史がスタートしたといっていいかもしれません。

日本で初めて角膜を切開して近視の矯正術を行ったのが、順天堂大学の佐藤勉教授の執刀による「放射状角膜切開術(RadialKeratotomy=RK)」(佐藤式RK)だったといわれています。

この手術により一旦は近視改善に成功したものの、時間が経つにつれて角膜が濁り、これ以降佐藤式RKは行われなくなりました。

そもそもこの術式が日本で行われるようになったのは、第二世界大戦中の日本の兵力不足を補うため(近視の人間は兵役検査で弾かれていた)です。

1972年にロシアのフィヨドロフ医師は放射状角膜切開術の失敗の原因を、角膜内皮細胞の損傷であると突き止め、これを回避する策として、角膜の表面のみに放射状の切れ込みを入れる安全性が高い術式を開発します。

偶然の事故がレーシック技術発展のきっかけに


なぜ佐藤式手術から20年以上たってから、その術式の問題点がクローズアップされたかというと、事故により角膜を傷つけてしまった少年が、その数日後、以前よりも視力が回復しているという奇跡的な出来事があり、その原因を究明しているうちに、角膜をすべて切開する佐藤式RKの方法ではなく、角膜の前面のみを切開すれば安全に近視矯正手術が出来るのではないか?という研究結果が出たからです。

これにより角膜混濁の問題は解消されたものの、メスによる手術のため、精度に問題があり、ある程度の広がりを見せたもの の、この術式が広く世界中に浸透してはいなかったようです。

そしてようやく1980年代に現代の屈折矯正手術の歴史が開かれます。

アメリカで開発されたエキシマレーザーの照射による術式、「角膜表層切開術(Photorefractive Keratectomy=PRK)」が臨床実験を経て、1988年に一般患者に手術が行われるようになったのです。

1990年にはギリシャのI.G.パリカリス博士がマイクロケラトーム(眼科用電動カンナ)でスライスしフラップを作成、露出した角膜実質にエキシマレーザーを照射する「レーシック(Laser in Situ Keratomileusis=LASIK)」を世界で初めて実施。

2000年代にはコンピュータ制御によって精密なフラップを作成できる“イントラレースFSレーザー”がアメリカのイントラレース社によって開発、従来のレーシック術よりも安全性・精度の高い、イントラレーシックが開始されるようになります。